我が家には子どもが2人いますが、妊娠は4回経験しています。
- 1回目 息子
- 2回目 娘
- 3回目 稽留流産(9週)
- 4回目 流産(19週)
この記事は、妊娠19週に破水し流産を経験した私の体験談です。
自分の経験が誰かの励ましになるように
私自身、この流産後、同じような経験をした方の状況が知りたくて、何度も検索し、たくさんサイトを見てきました。その度に安心したり、今後のことを考えて不安になったり。
それでも実際に体験された方のお話は、私にとって、専門家のかたの記事よりも参考になり、精神的に助けられた部分が大きかったです。
その経験から、自分もこの経験を発信しようと考えました。
同じように流産死産を経験された方の励ましになれれば良いなと思っています。
そうはいっても、デリケートな内容でもあります。
人によって感じ方や受け止め方が異なるので、不快に感じられる方もいらっしゃると思います。
でも暗い気持ちばかりではなく、大切なことも学びました。
楽しく生きよう
家族も自分も大切にしよう
そう思い、前向きに生きています。
妊娠4週~5週頃 妊娠発覚 喜びと不安
妊娠を自覚したのは妊娠5週頃。生理が遅れていることで妊娠検査薬を使用し陽性を確認しました。
もちろん夫婦で喜びましたが、この半年前に稽留流産を経験していたので不安な気持ちも大きかったです。
そこから多少の出血はあり、益々不安が大きくなる日々でしたが、この出血に関しては『正常の範囲内の出血』とのことでした。
仕事は看護助手で、主な仕事は介護業務。
一緒に働く同僚からもとても気にかけてもらってはいたものの、立ち仕事の不安は大きかったと思います。
14週頃 シロッカー手術(頸管縫縮術)の選択
お腹の張りはあるものの、それ以外は一応順調ではありました。
ただ、私は1人目も2人目も切迫流早産での妊娠経過で、お腹も張りやすく、子宮頸管も短くなり入院した経歴があります。
そのため、14週頃にシロッカー手術をやるかどうかという話が出ました。
シロッカー手術とは子宮口を縛り、開かないようにする手術です。
とても悩みました。
それこそたくさん調べ、体験された方のブログ記事を読み、夫と話し合いました。
- シロッカー手術をすれば絶対大丈夫というわけではない
- リスクもゼロではない(感染などの心配、お腹が張りやすくなる)
他にもまだ妊娠のことを伝えていない子どもたちのことなどを考え、シロッカー手術はしないことにしました。
本当に悩んだし、今考えてもどうするべきだったのか…と思ってしまうけど。
このような結果になってしまったけど、この時は私たちにとっては最良の判断であったと思っています。
検診で順調と言われてからの破水
それからも仕事をしていること、不安に感じながら過ごしていました。健診で順調と言われてもずっと安心できないような、そんな感覚でした。
2人目妊娠時から愛用しているトコちゃんベルトをしていたり、横になっている時もお尻の下にクッションを入れ腰を高くしていたりすると楽に感じていました。
私が破水したのはもうすぐ6ヶ月だと思った矢先。
お腹の赤ちゃん自体は順調。
胎動も少し感じてきたし、その1週間ほど前の健診でも順調と言われたばかりでした。
激しい運動をしたわけではありません。
夜、寝ようかなとベッドに入り横になってまだ眠りにつく前。
突然『ん?おりもの多めに出たかな?』と思ったのも一瞬で、どんどん流れ出てきてしまいました。
『破水しちゃった』
すぐにわかりました。産婦人科に電話する手が震えていて寒気も感じていたと思います。
電話では破水した状況の説明の他に、今のコロナ禍ということもあり
- 現在、熱はあるか
- 風邪症状はないか
- 職場や周りの人に陽性者や濃厚接触者はいるか
などを聞かれていたと思います。
『きっとダメだろう』
そう思いながら、病院へ向かいました。
病院に到着し診察 不全流産と診断
病院についてエコーで診察をすると、胎児の心拍はしっかりあるけど、羊水はほぼ残っていない状態。
胎児の周りには何もありませんでした。
『残念ながら妊娠の継続は難しい』
そう言われました。
それは自分の感覚でも十分理解できました。
この時の私の心情としては
- 何がダメだったんだろう
- 動きすぎちゃったかな
- 赤ちゃんに申し訳ない
- 夫も子どもたちも本当に楽しみにしていたのに、こんなことになってしまって申し訳ない
とにかく周りに対して『申し訳ない』という気持ちとどうしようもできない後悔の気持ちがありました。
どうしても自分を責めるような考えが浮かんできてしまいました。
私は自分の人前で泣いたり、弱みを見せたり、感情を見せることが割と苦手な方。
そのため、この場で取り乱したりすることはありませんでしたし、現実を受け止めていました。
それでも、このコロナ禍ということで、家族が院内に入ることができず、この状況で一人でいることがとても心細かったです。
夫には電話で現状報告はするけど、夫の気持ちを考えると何とも言えない、胸が締め付けられるような思いでした。
その後 出産方法についての説明
妊娠の継続が無理なのは分かったけど、その後どうするのか知らなかった私はとても不安になってしまいました。
人工妊娠中絶は22週までと耳にしていたので、子宮内容除去術の処置をすると思ったら、ここまで大きくなったら普通に出産になると言われさらに不安になってしまいました。
私は1人目と2人目が帝王切開であったので、通常であれば帝王切開になるのですが、赤ちゃんの頭の大きさが5㎝ほどなので経膣分娩できると言われました。
私の体への負担、その後の回復のことなども考え、産婦人科医の先生としても慎重な判断であったようで、2人の先生で相談して決めてくれました。
原因不明の発熱
破水から約3時間後。
病室に入り、張り止めの点滴。
その後、発熱していることに気づきました。
熱はどんどん上がり、朝方には40℃近くに。
インフルエンザとPCR検査をしましたがどちらも陰性で、破水による感染症が考えられるとのことでした。
しかし、破水による発熱としては熱が出るのが早いので、別の原因も考えられると言われました。
この発熱は、出産するまで38℃以下になることはなく、出産2時間後くらいには37℃以下に下がっていました。
一か月後に検診があり、胎盤などの検査からも感染症は見られず、原因はわからないままの発熱でした。
説明された処置内容 夫にはテレビ電話で説明
コロナ禍のため家族が院内に入ることができませんでした。
受付まで来て書類のサインや必要なものを持ってきてもらう程度。
そんな中、産婦人科の先生はどうにか夫に現状とこれからの処置について説明したいとおっしゃってくれて、FaceTimeを使用して説明してくれました。
説明内容
産婦人科の先生より説明された説明です。
箇条書きで失礼します。
分娩誘発
- 子宮頚管内にラミナリアを挿入して子宮口を充分に広げる。これを何度か繰り返す。
ラミナリアとは海藻を原料とした医療機器で水分を吸収して膨らむ力を利用して子宮頸管を広げていく。 - 促進剤を使用して、分娩を誘発する。
危険性
- 過強陣痛
- 子宮破裂 など
その他
胎児や胎盤がきれいに出なかった場合や娩出を急ぐ必要があると判断した場合は子宮内容除去術もしくは帝王切開を行う可能性もある。
出産まで2~3日かかるかもしれない。
経過
出産までの経過ですが、なにせこの時、高熱にうなされながらであったので、うろ覚えではありますが、私の記憶に残っている限りの体験談です。
お昼頃:ラミナリア挿入
ラミナリア5本入れたとのこと。これがかなり痛かった。
3~4時間後にまた入れ替えるし、さらに本数が増えるけど、痛みが強いようなら麻酔で寝ることもできると言われ、次は麻酔を使ってもらうことにする。
夕方:ラミナリアの入れ替え
麻酔を使用してもらい、寝てる間に処置。
目が覚めてから病室に戻る。
21時頃:陣痛を感じる
消灯後、なんとなく陣痛を感じ始める。
経膣分娩が未経験の私は、どの程度で助産師さんを呼ぶべきかわからず、10分間隔なのを確認してナースコールで呼んでみる。
陣痛緩和のため、助産師さんが湯たんぽを用意してくれている間に、あっという間に5分間隔へ。早めに分娩室へ移動することになった。
23時半頃 出産 泣き声はないけど動いている赤ちゃんとの対面
そこからは苦しい陣痛との闘い。
助産師さんに手を握ってもらったり励ましてもらったりしながら、23時半頃出産することができました。もちろん元気な泣き声は聞こえません。
正直赤ちゃんに会うかどうか悩んでいました。
会いたい気持ち。でも会ったら次に進めなくなるんじゃないかという不安な気持ち。
どちらもあって、出産前には決めれませんでした。
まずは性別を聞きました。
産婦人科の先生と助産師さんで確認してくれて男の子と教えてくれました。
結局、助産師さんに『お顔見ますか』と聞かれて、自然と『はい』と言ってしまい、赤ちゃんに会いました。
本当に小さくて、弱々しく腕を動かしていて。でも可愛い。
『ありがとう。ごめんね。』
と伝えました。
顔を見ておいて良かったと思っています。
胎盤を出す
出産後に胎盤を取り出すために、産婦人科の先生が引っ張ったり掻き出したり(?)していて、それも痛くて、痛がる私を見て「また寝ます?」と言われ、また麻酔を使用してもらい寝ている間に処置をしてもらいました。
退院 火葬
産婦人科の先生の配慮で、私の体調さえよければ、翌日のお昼ごろには退院できることになりました。
助産師さんは、ここで赤ちゃんの泣き声が聞こえることも気になっちゃうだろし、家で好きなもの食べて、自分を甘やかしてとおっしゃってくれました。
私も早く家族に会いたかったので、すぐに退院することにしました。第一子の出産の時から知っている師長さんも何度も病室に足を運んで運んでくださり、励ましてくれました。
そして出産から約12時間後、退院。
夫に迎えに来てもらい、そのまま火葬に行きました。
死産の場合『個別火葬』か『集団火葬』の選択が必要で、私たちは個別火葬にし、赤ちゃん用の骨壺を購入し、家に連れて帰ってきました。
赤ちゃんにしてあげたいこと
出産前に、助産師さんから赤ちゃんにしたいことはないかと聞かれました。
考えてもいなかったので、例えばどんなことがあるか聞きました。
- 会いたい。抱っこしたい
- 顔は見ない
- 写真を撮りたい
- 足型をとってほしい
- 棺の中に入れたいもの など
結局、出産前には会うかどうかは決断できなかったけど、赤ちゃんに会いたいと言っている子どもたちに会わせるのは躊躇したので、足型だけとってもらうことにしました。
産後の気持ち
流産してしまったことに対してなのか、夫や子どもたちへの申し訳なさからなのか、周りの温かさからなのか、ふと涙がポロポロと出てくることがありました。
でも子どもたちには心配はかけたくないし、弱音を見せるのが得意ではないので。正直気丈に振舞っていたと思います。
その中でもまずはゆっくり過ごして、身体を大事にすること。
それを最優先にしました。
その後の身体
発熱の影響もあるかもしれませんが、それから1週間ほどは身体がだるく、長く身体を起こしているのが辛かったです。
家事は夫と母親に任せ、必要最低限以外ずっと横になっていました。
悪露は2週間ほどでほとんど出なくなりました。
次の生理は出産から26日後。始めは茶色いおりものが2~3日続き、徐々に鮮血が混ざってきて本格的に生理が始まった感じでした。
病院では、次の生理は1か月半後くらいと聞いていたので、思ったより早い生理に驚きました。
そして経血量がいつもより多かったです。
産後、子宮というか膣からの冷えがとても気になりました。冬ということもあったのか、底冷えしている感じで、ずっと寒かったです。
それが生理が来てから改善されました。
産後休暇~仕事復帰
出産後、「仕事は何日くらい休むことになるんだろう」と考えていたら、助産師さんが「死産扱いになるので、産後8週間は休まなくてはいけないはずだよ」と教えてくれました。
職場に確認したら、4か月以上での出産(流産や死産を含む)は、産後休暇扱いになるとのことでした。
8週間の産後休暇後、職場に復帰しました。
辛さはあるけど前向きに
もちろん今回の流産は私にとって、そして家族にとってとても辛い経験になりました。
子どもたちにはこの機会に、『あなたたちが元気に産まれてきたことはあたり前のことじゃないんだよ。お父さんもお母さんも2人が大好きで大切だよ』と、命の大切さを伝えました。
子どもたちには12週頃に妊娠の話をしたばかりでした。
流産前から2人で『男の子だったらこの名前にする』と勝手に決めてた名前があり、男の子だったので赤ちゃんはその名前ということになりました。
2人にとってはしっかり弟なようです。
そんな子どもたちの温かい気持ちにも触れることができました。
原因は何だったのか?
結局のところ、今回の流産の原因は何だったのか。
胎盤を病理に出した結果では不明。
念のため不育症を考え、血液検査をしてくれましたが、不育症とみられる検査結果ではなかったそうです。
言ってしまえば、不慮の事故とのこと。
原因不明なことって多い。
まとめ
長くなりましたが、以上が私の19週流産の体験談でした。
この経験があり、仕事を退職し、ブログを始めてみることにしました。
辛い気持ちがあるけれど、前向きに進みたい。
毎日楽しい気持ちでいたい。
新しいことにチャレンジしたい。
自分のこの気持ちが誰かの背中を押せることを願っています。